映画『Winny』を観て
先日、映画『Winny』を観ました。私のような非技術者の立場でも、いわゆる『Winny事件』について、わかりやすく理解できるように描かれていました。
ネット社会の在り方を考える機会をいただくことができて、大変素晴らしい作品だと感じましたので、多少ネタバレに配慮して、感想を書いてみたいと思います。
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まず一番に感じたことは、映画を通して金子氏を美化し過ぎて受け取ってしまうと、当時の状況を飛躍して理解してしまうのでは…ということです。
これは、私自身が情報モラル教育やデジタルシティズンシップ教育に関わってきて、更にリアルな子どもたちの現状に触れてきたからかもしれません。
例えば、本作では『犯罪に使われた包丁を作った職人は罪に問われるのか』というセリフが出てきます。実際、金子氏が裁判中に残した言葉で、当時も報道として取り上げられていたようです。
この比喩表現は、確かに一部の面においては納得できます。しかし、当時の未成熟な国内のネット社会において、Winnyが健全に利用されたのかどうかという点については、やはり難しかったのではないかな…と感じます。
色々なネット記事を調べてみたら、ある識者は「当時は鞘が無かった」と表現されていてなるほど…と思いました。
こうした当時の社会状況も、映画でうまく描かれていましたが、リアルに体験していないと、印象としては薄くなってしまうかなと思いました。
だからといって、不当逮捕されることは、あってはならないと思います。それでも「つくる責任」は、一定程度果たすことが必要と思いましたし、今はそうした配慮が、法律や仕組みの面で整ってきているのかなとは感じます。
振り返るとWinny全盛だった頃、私は小〜中学生でした。その存在は、2ちゃんねるや友達経由で知りました。
しかし、2ちゃんねるへ書き込みをするのと同様に、「踏み入れるとヤバそうな領域」と何となく認識していて、自分からそれを使おうという気持ちにはなりませんでした。
本作を通して、全員が金子氏や開発者を目指すよりも(多分そういう人はこういう映画は観ないはず)、そうした新たな技術とどう付き合っていくのか…を、学校等で考える機会を作ることが大切だと感じました。
自分の当時の行動を美化するのもどうかとは思いますが、子どもたちにもSNSなどの危ない面を全く見せないのではなく、かといって怖がらせるだけでもなく、周辺的にリアルに接していきながら「何となくヤバそう」「開発者は何を意図してるか」みたいな感覚を正しく身につけることが大切なのかな…と思いました。
上映劇場とスケジュールが少ないのは残念ですが、ICT教育・プログラミング教育に関わる教員の方々は必見だと感じました。
…とここまで書いて、私がモヤモヤ思っていたことを、完璧に言語化していただいた記事を発見しました。「美化」よりも「安易なストーリー」という表現の方が適切だと思いました。
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